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スタヂオ四畳半

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スタヂオ四畳半
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方向を決めてから歩きだそうとすると、優柔不断だからどうにも一歩も踏み出せないネ。
兎に角何かやってみれば、何時の間にか何処かへ向かっているかも知れないネ。
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レジのお姉さん

2007/11/28 21:37
同僚がDSのドラゴンクエスト4に夢中だという。
そんな話を聞くと欲しくなってしまうではないか。
先週見たときに、やたら安い値段で販売していたW店に行ったら売り切れていた。
仕舞った、こんなに人気があるとは思わなかった。先週買っておくんだった。
軽い後悔とともに、いつもの大手スーパーに晩御飯を買いに行った。
そこで思い出した。そのスーパーにも、小さいながらゲーム売り場がある。もしや其処に売っているのではないか?
葱の入ったビニル袋を提げて売り場に行くと、あった。だが、殆ど値引きされていなかった。高いな、どうしようかと迷っていると、レジの方からいかにも疲れた風な「んがぁ〜〜〜っ!」という声が響いてきた。
驚いて其方を見やると、ストレート・ショートボブでエプロンを着けた美しいお嬢さんが伸びから端正な立ち姿にまさに返っていくところだった。
私はとんでもないところを見てしまったような気まずさから、ちらっと見ただけであったが、お嬢さんのそ知らぬ風を装った佇まいから「しまった」というオーラが出ているのがありありと見て取れた。
結局ドラゴンクエストは買わず仕舞いだった。
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熱帯夜解放戦線

2007/08/29 23:28
暫くぶりにどんよりした厚い雲が空を覆った。
「曇っていると地上からの放熱を雲が妨げますので、今夜は蒸し暑く寝苦しいでしょう」などと、天気予報の美しいお姉さんが言っていた。
嘘だ。
さもなければお姉さんは日頃クーラーに当たり過ぎだ。
クーラーのない、灼熱地獄の夜を潜り抜けてきた私にとって、其の夜は過ぎるほどの快適な涼しい夜だった。

ふと私は何か物語を書きたくなった。何年も前から思っていたが、ついに果たされることはなかった。今なら超絶感動巨編が書ける気がする。もりもり湧き上がるイメージがある。
私はPCの前に座って、そのイメージを言葉にしようと躍起になった。しかし、言葉にしようとすると、イメージは今朝方見た夢のように支離滅裂になって霧散していく。
これはいけない。
私は霧散するイメージを元の塊にしようと目を閉じて考えた。
そうして、ああそうだ、前もこんな感じで何も書けなかったのだと思いついた。

開け放した窓から、湿り気を含んだ落ち着いた夜気が優しく吹き込んで来る。
卒然、多幸感に包まれた。
安心と希望と夢が胸に落ち、また何も書けないまま私は眠ってしまった。
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蝉の魂斯くなれり

2007/08/26 22:28
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エノコログサの穂の外側が、発光してぽうと浮かんでいるように見えた。

道端に蝉の亡骸が転がっている。
哀れな、と思って近付くとやおらギュイギュイ喚き、羽をバタつかせ跳ね回って逃げていくので度肝を抜かれた。
最後の抵抗か執着か。
どちらにせよ、あの蝉はもう長くない。

地に落ちた蝉の魂が昇って、エノコログサを輝かせるのかもしらん。

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お墓参り

2007/08/25 21:37
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猛暑もさすがに勢い衰えたか。
心地よい暑さの中を歩いた。子供の頃の夏は何時もこんな暑さだったような気がする。
それとも記憶が晩夏に固定されているのかしらん。
午後四時、蜜柑色のひかりが其処此処に濃密に溢れている。
懐かしいと感じた。
こころの中の懐かしい風景を絵にしたら、迄途これだ。
今見ているのは絵より精緻な現実の風景だから、絵にしちゃ可笑しいか。
いや、絵でいいのだ。
細部が問題なんじゃない。懐かしさをもたらす色の濃い部分が寄せ集まってこの景色を作り上げている。だから絵でいいのだ。
「懐かしい記憶」の絵。
絵の中に人が入り込んだら、こんな心地がするんだろう。
そうして「お前は今、昔の世界にいるのだ」と、誰かに告げられたなら、私はその言葉を有難く信じたいと思った。

幼少の頃、盆休みともなれば親戚一同で墓参りするのが慣例で、同時に私は親戚の兄ンちゃんと遊ぶのが楽しみで、夏休みの一大イベントだったのだ。
今は親戚と顔を合わせ辛くなってしまった。
親戚と顔を合わせぬよう、あの頃の記憶を辿るよう、盆を過ぎて一人で墓参りに行く。
墓には誰もいなかった。
線香を五本立てて手を合わせた。
振り返ってみても矢張り誰もいなかった。

我のみが生き残りてか夏の墓
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夕立のない夏

2007/08/22 23:43
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入道雲はもくもく盛り上がった。
毎日毎日。
ところが遠くで大きくなるばかりで、瑣っとも向かってこない。
昨日も夕立がなかった。
今日もなかった。
私は一日のうちに生命が幾重にも輪転するような夏が好きだ。
そのイメージの大半は午後の夕立に支えられているというのに。
これじゃまた暑苦しいだけの夜だ。


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季節は確実に進みそして

2007/08/15 08:53
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スーパーでコーラを買い溜めしておると、近所の若?奥様の会話が聞こえた。

「もう随分暗くなってきたね」
「あーらホント、今何時?」
「七時前」
「七時過ぎてもまだ明るかったのにねー」

出口の短い自動ドアを抜けるとそこはもう薄暗かった。
空の底が滲んで見えた。
雪国も今はまだ夏だろう。
けれども矢張り確実に夏は終わりに向かっている。

もうもう立ち上がる雲があった。
だが迫ってこないのだ。
それだけに剣呑だった。
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疲れているきっと疲れている

2007/08/07 21:59
フォークリフトを操りながらひいはあと荒い息をついている。
瑣っとも色っぽくない。暑苦しいだけだ。
これで遊んで暮らせるぐらいお金が貰えれば脱水症状が出るまでやるのに。
モーローとする頭に某魔女配達のキャッチコピーが浮かんだ。
「落ち込んだりもしたけど、私はゲンキンです」
えへらえへら笑っているとホワイトカラーの連中がこっちを見ながら気味悪そうに遠ざかっていった。
まあ、もう、どうだっていいかぁ。
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ヒグラシの声は透明で哀しいな寂しいな

2007/08/06 20:44
夕暮れに鳴くヒグラシが昼間っからひつひつひつひつ鳴いていなさる。
そんな時は天気が悪い。
そうか、奴等は工場の表に裁定者の如くでかい面している時計の六時を見て鳴き始めるのではなく、光の加減で鳴き始めるのか。なんという日和見主義であろうか。
そう思っていると、天気の良い時にも鳴いていたりする。
そんな時は若干涼しい。
そうか、やつらは弱った光に哀悼を示して鳴くのではなく、涼しい涼しいうくくくくと忍び笑いをして鳴くのだな。安上がりな奴等だ。
本当のところは分からない。調べりゃ分かるが分かっちまうとつまらない。

ヒグラシの鳴き声は、我々人間がはーっと息を吐いて、ずっと吐いてもっと吐いて限界まで吐いて、最後に「ひっ」と漏れる声を間断なく発しているように危うい。それでいて美しく透明な鋭さがある。必死で「哀しいです哀しいです」といっている。だからといって助けを求めているようでもない。それは全くもって純粋な哀しみの放射なのである。聞かせよう、気付いて欲しいなどという邪念がない。だから尚更胸を打つのだ。

自由律俳句:ひぐらしや硝子震わす
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ジャスコ屋上に入道雲いらっしゃいませ

2007/08/05 21:45
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下は満杯だったので屋上の駐車場にとめた。
一階分だけ入道雲に近くなった。君との距離は縮まらないっていうのに。
むほほ、思春期自己陶酔型アイラブユー的表現をしてしまったぞ。

今日は雷さまが来るな。
早く家に帰ってじっとしていよう。

家でテレビをぼんやり見ていると、猛烈な風が吹き始め、ごろろどぉおんずううーんと雷さまが猛り狂った。
だがこれしきの雷では驚かない。

私の記憶に残る雷のうちの二つ。

一つは小学校のとき。
三階窓際の私の席から、真っ黒な雲が向うからずんずん迫ってくるのが見えた。あれあれと思っていると、黒雲に合わせて校庭が墨を流したように陰って、いきなりドンピシャーンときた。
あれほど急激でくっきりした天候の変化はそれから経験していない。

もう一つは下宿時代だ。
大学から帰る途中の自転車は黒雲に追い立てられた。
いけない、まずいと必死で自転車を漕いで下宿に帰った途端に叩き付けるような雨がふりだして俺は仰け反った。
そうして部屋に戻って、雨で白く濁った雨と雷鳴を聞いていると、なんだか自分が守られているような気がして心が落ち着いたのだ。
そうして買い置きの菓子を齧りながら、雷鳴が去るまで外を眺めていたのだった。


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玉葱のないカレーに未来はあるのか

2007/08/04 20:48
帰ったらカレーをつくろう。絶対つくろう。
そう思いながら寄り道もせずに会社から帰ってきた。
問題は人参が冷蔵庫に残っているか、ということだった。
買って帰れば問題ないのだが、もし残っていたとすれば、三本百二十円の人参は暫く冷蔵庫に放置されたまま無残に萎びてしまうのだ。
(人参がなくてもどうにかなるさ)
私はそう思って買わずに帰った。家で確かめてみたら下の方が皺だらけになった人参が一本残っていた。
火が通りづらいものから鍋にぶち込んで煮込むのが正道だろう。
私はまずジャガイモを三個剥いた。五分かからなかった。いいタイムだ。それから人参をピラーを使って剥いた。それを半分に割って半月型に刻んだ。
次に玉葱を剥こうとして、そこで漸く気が付いた。玉葱がない。
私は狼狽した。カレーの具で二番目に大事なものがないのである。ちなみに一番目や三番目はどうでもよいことであった。
しまった。人参があったので油断した。
――いや、玉葱はあったのだ。ある筈だったのだ。
しかし野菜を無造作に突っ込んである冷蔵庫の一棚を掻き分けても掻き分けても出てくるのは茄子と山芋だけだった。
もしかして庭に一個ぐらい植えてあるのではないか!?
私はまだ薄暮にしっとりたゆたっている庭を鋭く眺めたが、親父が好き勝手に植えて半分林と化した庭がざわざわわっはっはとザワメキ笑っているだけで長ネギさえないのだった。
いや―― 長ネギなら――
私は冷蔵庫前に転げて舞い戻った。
野菜庫とは別のメイン・フォルダに長ネギが静々と横たわっていた。
これでいい。
私はそいつを手早く刻むと鍋に放り込んだ。
出来上がったカレーは普通に美味しかった。
そうして私は、大抵のものはカレーに入れても美味しくいただけます! ということを知っていた。

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風邪の日に散歩

2007/05/06 21:21
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風邪を引いた。
張り詰めた生活の日々は一段落している。
代わりに気が緩んだ。
昔なら、長くても三日で治った風邪が、一週間経っても抜けない。
歳の所為ばかりではないだろう。
一種、バーンアウト症候群みたようなものだと思う。
桜の花はすっかり散ってしまった。
風邪を引く前に、とうに散ってしまったのだが、寝込んでいる間に散ったような、そんな気がしている。
葉桜が実に爽やかだ。
私は桜の花よりも、寧ろ葉桜を好む。
桜の花、アレは華美過ぎて不可ないね。妖しくて、胸が変にどきどきする。



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初夏の陽気に、コートを一枚羽織っている。
半袖シャツの人も居る中で、さぞかし自分は奇異に見えるだろう、と思うと、いたたまれなくなるより可笑しくなった。
子供の頃、風邪で早引きして帰ると、自家のものは皆出払っていたことがある。玄関には鍵が掛かって、家に入れなかった。
どうにもぞくぞくしてたまらぬので、日当たりのよい原っぱで、大の字になって寝た。
風はなかったので、ぽかぽかと、実に暖かかった。
そんなことを思い出している。



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一輪、起立しておれば、百合にも負けぬ可憐さであろうに。
こういうまだるっこしい灌木であるからして、惜しいというか、少々抜けているというか、つつじにはそいういう可愛さがある。



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川縁にビンボウグサが咲いていた。
こいつを頭に載せられると、貧乏になるらしい。
昔、近所の悪餓鬼に、しこたま頭に載せられた。
その時は何とも思わなかったが、現在ただいま困窮しておるところから考えまするに、あながちただの迷信とも思われぬ。
只、この花の本当の名前は好きだ。
――ハルジョオン ――ハルジオン ――春紫苑。
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稲と愛

2007/04/25 12:54
田植えが始まるのだ。
田圃に水が漲って、夜の家々から洩れ出る灯りを映す。
田植えが終われば、この湖に、穂先を水面から僅かばかり覗かせて、苗が整然と並ぶのだ。
美しい。
だが、なんだか勿体無い気がする。
苗が生長して、水面を覆い尽くすと、鮮やかな緑の絨毯になる。
だが、なんだか胸騒ぎがする。
やがて、稲が黄金色になり、刈り取られる。
その時は、別に何も思わない。

愛は満ち足りても、悲しみは不足しないのか。

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淋しい友人

2007/04/24 12:51
しばらく何処かへ出かけていたが、家に帰ると、そいつは勝手に部屋に上がりこんで、すっかりくつろいでいた。
「お帰り」
と、声をかけると、
「むーん」
と、気だるそうに返事をして、茶を啜った。
俺はこいつが帰ってくると、不安な気持ちになる。
だが、いない時にはなんだか物足りない気にもなるから、嫌いじゃないんだろう。
この淋しさが、何時から友人になったのか忘れた。
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ぷらぷら歩く

2007/04/12 21:34
神社に車を停めて一巡り。

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満開の桜。
まだ散り始めておらぬ。
「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき」
だが、咲いたばかりの桜は、可憐さよりも憐れさよりも、寧ろ雄々しく逞しい。


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小さな光。
其れは、忘れ物ではなく、落し物だった。


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春が好きだ、と言うのがなんとなく気恥ずかしいのは何故でしょう。
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猫まっしぐら

2007/04/10 21:21
時間がない朝、車を急がせていると、道脇から猫がテェーッと、脇目も振らずとび出してきた。
これはいけない。
急ブレーキを踏む間もなかった。嫌な感触がタイヤから伝わってくるのを覚悟して、身を硬くした。
だが、どうやら猫は、フロントタイヤスレスレを駆け抜けたようで、車は平穏に走り続けた。
首根っこひっ捕まえて、ヒゲの一本も引っ張ってやろうとしたが、彼奴の姿はもう何処にも見えない。

何度か他の車の前に飛び出した猫を見たことがあるが、総じて彼等は引き返すことをしないようである。
道を横切るときは、一目散。
だが、ここで不思議な気がした。
T氏の猫など、目の前に指を突き出すと、くんくん臭いを嗅いで、爪でバリッと引っ掻くくらいには慣れてくれたが、最初は酷いものだった。
玄関を上がると、パァーンと隣の部屋に逃げ出して、鬼か悪魔でも眺めるみたいに、首だけ出してこちらの様子を眺めている。
野良猫ならば、尻をこちらに向けて、顔を振り向かせている例のスタイルで、常に逃走準備完了させている。
斯くも用心深き彼奴等が、道でよくペチャンコになっているのはいかなる故か。轢死という不注意が故の不慮の死など、まず迎えるように思われない。

だが、よくよく考えてみたら、それこそ彼等の用心深さ故だと気がついた。
道には隠れる場所がない。敵に襲われたら一たまりもない。
彼等にとって、見通しの良い道を横切る行為は、降り注ぐ銃弾の中に突撃するのと、なんら変わりがないのである。
だが、猫ならば、そこを渡らなければならない時がある。
そんな時、彼等はきっと躊躇うのだ。
そして心の中で、最も勇気が高まる瞬間を待つのだ。
三、二、一……
今だ!
と、叫んでとび出すのだ。
その機会を捉えるのに躍起になっている彼等に、最早辺りの状況は見えまい。
そうして、そんな時運悪く車が来ていると、ドーンとやられるわけである。

頼むから猫さん、私の車の前にはとび出してくれるな。
私は猫が好きなのである。
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鹿島迄・五

2007/03/08 22:37
落陽の黄味色は深まり、私はしまったと思った。
今海に戻れば、もっといい絵が撮れるのではないか。
慌てて来た道を引き返し、いい加減に細道に突入した。
一度行き止まりに行き当たり、時間を消耗した。



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漸く海に出た。
その海の堤防の上には、座椅子が並べられていた。
私は不思議と胸が熱くなるのを感じた。
その座椅子は誂えたものではなかった。
嵐が来れば吹き飛んでしまうだろう。
不要物を、どうにでもなれといった具合に置いたのだろう。
まだあれば腰を掛けるし、無くなったら、ああ、無くなっちゃったか、それだけのこと。



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此処で語らうもことは何ぞや。
語らうものは誰ぞや。
海を前に我等が魂の尚小さきこと。
言葉のみあり。
この身あるを知らず。
傍らの君は早眠りたまふか。

黄昏の光は、曇り始めた空に、もう失われていた。



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鴎が飛んでいく。
フィルムを巻き戻して再生するように、過ぎるそばからまた過ぎてゆく。
不思議なことに、飛びすさる方角は、皆一緒なのだった。



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鴎は何処から来るの?
鴎の始まりは何処?
鴎の飛んで来る方角に目をやって、彼女を見つけた。



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彼女へ至る道は、波にさらわれて、常に開いてはいなかった。
タイミングを誤ると、スニーカーがびしょぬれになってしまう。
それでも、私は彼女の元へ行きたかった。



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はまなすの精。
彼女の名はそういった。
波頭を背に受ける姿は、神聖というより寧ろ哀れに見えた。
右手に鴎を携えていたが、私には、鴎が必死で乙女をこの場所から引き離そうとしている、そんな風に思えた。



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春の陽気は一変して、明日は大荒れになるという。
海辺には、早くもその兆候が表れていた。
風が強い。上着が欲しくなった。
――帰ろう。
私は一目散に、車まで戻ったのだった。



終わり



追記:はまなすの精が掲げている鳥、あれは鴎じゃなくて鳩だそうな。




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鹿島迄・四

2007/03/07 22:32
ヘッドランドNo.17から南へ十キロほど下ると、はまなす公園に辿り着く。
私はここを最終目的地にするような、しないようなあやふやな気持ちで家を出た。
面倒になったら海を見て終いにするつもりだった。
いざ来てみると、全く意外なほどノリノリな私である。
いざ、行かん、はまなす公園へ。



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はまなすが咲き乱れる広場の向こうに海が見える――
そういう公園を想像していたが、どうやら違うようだ。
はまなすがまだ咲いていないのは知っていた。
違かったか、と思わされた一番の要因は、小山をくり抜いたような、起伏に富んだ公園だったこと、それである。
二股に分かれた道があって、左は有料の資料館云々、右はからくり時計云々と書かれた標識が立っていた。
私は当然、右を選んだ。無料だからだ。



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歩いて行くと、程なくして開けた場所に出た。
幼稚園の庭くらいの広場で、広場の一辺は売店が軒を連ねていた。
小さい子供を連れた家族が十五組以上、そこで戯れていた。
石鹸玉を吹いている子供が二人いた。
石鹸玉は、吹くそばから無数に現れて私の側まで飛んで来た。部屋の中なら、部屋を埋め尽くさんばかりの石鹸玉も、かうして外で吹かれていると、すぐに疎らになって虚しく映った。
それから、プロペラを飛ばして遊んでいる子供が大勢いた。筒状の仕掛けの軸にプロペラをセットし、筒から伸びる紐をぐいと引くと軸が回転し、プロペラが飛び立つ玩具がある。あれである。今更こんなもの(と云っては失礼だが)が子供達の間でブームになるはずはない。大方、売店が上手く宣伝しているんだろう。

「落ちた? 落ちた?」
子供が木に登って枝をゆすっていた。
もう一人の子供が、落ちている小石を拾って、エイヤと枝に投げつけている。
「ううーん、落ちないネェ」
母親だろう。女性が枝の下で心配そうに見ている。
どうやらプロペラが枝に乗ってしまったらしい。枝に黄緑のプロペラが見えた。
昔取った杵柄、ここは我が木登りの秘伝を公開奉らんとも思ったが、ここは見守ることにした。
すると、或る拍子にプロペラがぽとりと落ちた。
「あっ、取れた取れた! やったー!!」
母親が手を叩いて誉めた。子供は少々得意気に木から下りてきた。
矢張り、秘伝は秘めておいて良かったと思った。



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風はそう強くないが、ごうごうと音がする。
これが潮騒なのだと気が付いた。
売店の隙間に猫の如く入り込むと、小さい海が見えた。
もし私がこの辺りの住人であったら、潮騒を認知し得るであろうか。
そんなことを考える。
美味いものがやがて美味く感じられなくなるように、幸せがいつか当たり前になってしまうように、潮騒もやがて音と感じなくなるのかも知れぬ。
それはつまり、私が住んでいる街にも、もう私が感じられない音が溢れているのかもしれない、ということでもあった。
そして、幸せは何時か慣れるが、不幸は何時だって衝撃であり……



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で、からくり時計とはこれでした。
色褪せて焦点を失った目に睨まれて、夜ここに一人立つ自信は、私にはありません。
即ち時計自身からくりでありながら、人に恐怖を覚えさせる副次的からくり要素を包括し、二重のからくり糸に絡めとられて、クラインの壷に私は落ちるのです。



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公園を後にして、長者ヶ浜はまなす公園前駅に向かいました。
無人駅です。構内立ち入りは自由です、無料です。ひゃっほう。
電車に乗るのは無料ではありません。



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Wikiによれば、日本一長い駅名という、客寄せパンダチックな名所名物駅を期待されて名付けられたものの、僅か二年でその座を明け渡したという、悲劇の駅です。
仕方ないのです。これは後出し超有利ですから。
かといって、長すぎる名前を付けると、反って白けてしまいます。
「あなたの夢☆この街はみんなの故郷暮らし安心元気に挨拶長者ヶ浜はまなす公園前駅」
こんな名前を付けても、車内放送では「えー次ははまなす公園前駅ー」と略されるのがオチです。
ピカソを見てみたまへ。



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待合室内部。
煙草のヤニでしょうか、アクリル板? が茶色くなって、視界が酷く悪いです。
ですが、こうして座っていると、悪くない気分になってきます。
私はここで、珈琲を飲みました。
その珈琲は、ポピンズのお金で買いました。
ポピンズとは、長年愛用していた豚の貯金箱の名前です。
一年以上中身が増えなかった時もあります。毎日百円増えていったこともあります。
私はこの旅を最後にするつもりでした。それで、なけなしの貯金を使うことにしたのです。ハンマーを握る私の手は震えていたと思います。ポピンズは泣いているようにも、笑っているようにも見えました。ハンマーを振り下ろす瞬間、私はポピンズを買って貰ったあの日のことを、突然思い出し



続く
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鹿島迄・三

2007/03/07 00:21
おおっぴらな海水浴場的駐車場は、ついに見つけることができず終いだった。
知らないだけなのかもしれないが、国道を通っていても『○○海水浴場(左折)』的看板が見付からなかった。変な気がした。
細い曲がり道くねくねと行き、駐車したのは、かろうじて開けた原っぱのようなところである。
そんなところに、自分一人しか駐車していないとなれば、もしかしてここは駐車してはいけないのかしらん、という気になるというものだ。
遠くに数人の人影を見止めた。すると、尚更、やっ、ここはやっぱり公共の駐車場ではなかった、向こうか、という気が強くなった。
慌てて移動したが、そこもやっぱり原っぱである。



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移動する途中に見かけた、謎のコンクリ柱。
橋脚の一部に見えるのだが、それにしてはこれ一本しか見当たらぬ。
仮に橋の一部だったとしても、架け橋を渡ってゆく場所がない。
何かの像が立っていたのだらうか。
電線の邪魔になるからと、撤去されたのだらうか。



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根元に、『昭和四十』という文字が、かろうじて読み取れた。
昭和四十年、何が起こったか。
着工なのか、完成なのか、言葉尻を濁して風化した文字。




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出かける前に、地図を眺めていたら、湾岸が変な形に突き出ていたので、一体これはなんざんしょ、と思っていた。
正体はこれだった。
ヘッドランド。
生理的に受け付けない形だ。



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ヘッドランドを、浜辺から見るとこんな感じ。




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ヘッドランドの中ほどまで進み、さらにズームで先端を激写。
これ以上進むと危険です。
なぜなら、



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のたりのたりなんて、誰が言ったんだと激憤するくらい、荒っぽい春海の波が、どっぱんと打ち寄せてくるからです。
真夏なら、裕ちゃんっぽく片足を護岸石に掛けた例のポーズで、海の男を気取ってみるのもいいでしょう。
ですが、どんなに暖かいとはいえ、まだ三月です。
海水を被ったら、きっと風邪は引くわ塩水で目がしぱしぱするわ昆布が頭にのったりするわで、ろくなことにならないでしょう。
それに、カメラが壊れてしまいます。
買ったばっかりなんです。



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日は傾きかけており。
波の引き際は砂を煌かせて。
鴎は物言わず空を横切り。
親子連れ三人は波打ち際で戯れぬ。



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ただの標識が、なんとも美しく見えたことよ。



続く
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鹿島迄・二

2007/03/05 22:12
一つ目の住宅街を抜けても、海はまだ見えなかった。
山の中のような道が続く。
奥にもう一層住宅街があって、その向こうが海だった。



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臨海の住宅は、突き抜けたポップな色使いの建物で占められていた。
古いアメリカ映画で見た、ウエスト・コーストを思い出した。
嘘ですすいません。ウエスト・コーストがどんなところだか知りません。
ふと、人の住む気配がないことに気が付いた。
どうやらここは、別荘地であるらしい。
ファンキーな建物と、今はまだ閑散とした辺りは酷く不均衡だった。
建物だけは明るい活気で満ちているのに、人がいない。
自分一人だけ残して、世界の終わりが卒然訪れた。



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夏休みともなれば、子供達の歓声が行き交うであろう堤防沿いの道も、今は静かなまま。
鹿島の海は、漠々と広がってつかみどころが無い。
大洗は、湾岸に出入りするフェリーや停泊地や、臨海工場などがあって、シーズンを外れた海にも、生活臭というか、人の手が入っている手触りが感じられたのだが、鹿島はひたすら海である。
海の雄大さに感じ入るよりも、怖い、というのが正直なところだ。



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左も右も誰もいません。
せめて猫チャンでも出てくれば、と思ったが、何も出てこない。
海の轟きが胸に痛い。



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春真っ盛りを思わせる陽射しが、紅茶を透かして暖かく堤防に落ちる。
この午後の紅茶は正解だった。
淋しさづくしのなかで、すっごく暖かなのだ。



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ピントを海に合わせて、手前の紅茶をぼかしてみた。
それだけ。
ですが、このテクニックを知った時には、ちょっと感動しました。
それで、そういう写真ばかりを撮っていたら、Kに「馬鹿の一つ覚え」と言われ、私は泣きました。



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浜辺に、幾筋も轍の跡がついています。
なんだべさ、と思っていたら、遥か彼方から、足元に絡みつく蒼い波を蹴ってマシンが走ってきました。
シーズン前だから可能なんですね。
轍の跡を見ているうちに、なんだか物悲しくなってきました。
寄せ来る波に抱かれて、総て消え行く運命だからでしょうか……



続く
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鹿島迄

2007/03/04 21:13
金はないが暇はある。
時折海が見たくなる。
夏の海が理想的だが、混雑しては閉口だ。
三月が始まったばかりだが、今日は四月中旬並みの陽気だという。
――いいかもしれない。
よし、行こうじゃないか。



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霞ヶ浦に寄り道する。
踏み切りの向こうが湖とか海、というシチュエーションは好きだ。大好きだ。
浪漫的で、ポエミーで、どことなくブンガクテキだ。



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霞ヶ浦沿いを走る、鹿島鉄道沿線には、あちこちに「撮り鉄」さん達の姿が見受けられた。
いいなぁ、一眼レフ。
自分には使いこなせそうにないけれど。



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桃浦駅に到着。
桃浦駅は、鹿島鉄道の一駅である。
鹿島鉄道は、三月いっぱいで廃線になる。
霞ヶ浦側を走る時の車窓風景を想像した。
晴れのとき、雨のとき、嵐のとき。
廃線になってしまうのは、実に残念。
だが、鉄道は遊園地の乗り物ではないのだ。
人々の足として活躍し、なおかつ企業として利益を上げなくてはならぬ。
その論理が破綻すれば、廃線は免れ得ない。
ふと、思い切って、完全なるアトラクションとしてアピールしていればどうだったか、などという考えが過ぎったが、詮無き事ですかナ……



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標識も、あと一月で定年。
ご苦労様と言ってあげたい。
向かいのお家の犬が、けたたましく吠えていた。



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この後だったか、この前だったか記憶が定かではないのだが、鹿行大橋という橋を渡った。
狭い橋で、対向車とすれ違い出来ない。
最初、一方通行かとあせったが、そうではなかった。
途中に待避所のように、橋道が膨らんだ場所が三箇所ほどあった。
そこでやり過ごすのだ。
何故最初からその幅で橋を造らなかったのか、不思議で仕方ない。
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ベイシアで食料調達。
おにぎり二個とサンドウィッチ一つ。あと、ジュース二本。
この店があれば安心だな、と思う。
知らない街に行くと、
「この辺りの人って、何処で食料買うのかナ?」
と、いつも考えてしまうのです。

飯を食いながら運転し、国道51号に出た。
向こう側は、すぐ海になっている筈なのだが、全く見えない。
海を見に行くと、遠くにある海がだんだん近付いてくる、というイメージがあったのだが、何度かこういうことをやっていて、それが間違いであると分かった。
それは突然現れるのだ。
坂を越えた瞬間に。
林を抜けた先に。
脇道に入った向こうに。



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鹿島の海は、坂の下にあった。


続く



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